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小児科医・自見はなこの政治家への道②〜未来に向けた地域医療体制の構築を!

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早いもので、師走となりました。

新型コロナウィルス感染症の感染拡大が続く厳しい情勢ですが、あらゆる施策を動員して、皆様とともにこの難局を乗り越えていきたいと考えています。

私が、個人的な葛藤の末に、「国民皆保険を何としても守らなくてはならない」という強い思いを抱くようになり、政治でしか守れないものがあると確信する強烈な体験をしたのは、虎の門病院の勤務医だった時のことだと前回お話させていただきました。

公人としての責任の重さと、公職に対する畏怖の念から戸惑いもありましたが、最終的には1人で考えて決断し、手を上げました。

障害者や子どもたちの声なき声の代弁者となる

政治の道を選ぶと決めた後、応援して下さる方から「政治家になって、障害者や子どもなど声なき声の代弁者となって、小児科医としてあなたが感じた医療現場の生の声を国会に届けてほしい」という言葉を頂き、大変励みになりました。

結局私は、子ども時代、あれほど抵抗を抱いていた政治家を目指し、2014年の12月24日に医師会傘下の日本医師連盟では、組織内候補として擁立していただきました。日医連初の女性推薦候補でした。翌年には自民党参議院比例区(全国区)支部長となり、2016年に行われた第24回参議院議員通常選挙に、比例候補として立候補することになったのです。

私は、父が政治家でこそあれ、38歳のひとりの女性の勤務医に過ぎず、正直、とても不安でした。

しかし、日本医師連盟推薦候補となり、当時の日本医師会会長(現名誉会長)の横倉義武先生が私の後援会長となり、組織を上げて支援して下さったことでとても勇気づけられました。

20年後の社会でも、医療を届けられる仕組みを

候補者として全国を回った際、東北地方のある地域で出会った医師から「自分が生きている間は、この地域の全ての人をかかりつけ医として看取る。しかし、自分が死ぬときには、看取る医師はいないだろう」と聞き、それほど地方の高齢化と人口減少が進んでいるのだと痛感しました。確かに、地方ではシャッター通りが当たり前となっています。20年後の社会においても医療を届けられる仕組みを考えなくてはいけないと強く感じました。

後援会は、私の大好きな花である向日葵からとって「ひまわり会」と名付けました。出馬に向けて、全国各地の医療機関に直接足を運ぶうちに、地域住民の健康を守るため、医師会は不可欠と感じていました。私は、日本中に、向日葵のような笑顔の花を咲かせたいと思ったのです。

テーマカラーは、太陽のようなオレンジを選び、スタッフのTシャツには、向日葵のイラストを付け、私自身は、ひまわりのブローチも付けました。ちなみに、私の趣味のひとつは、「お花のブローチ集め」です(笑)。最近取材に来た記者さんからも指摘されたのですが、洋服も花柄が多いように思います。花が好きな理由は、やはり癒やされるからです

医療・介護・福祉の立場で町づくりをする

そうして迎えた投開票日である7月10日。私は、21万562票をいただき、比例区第9位で初当選させていただいたのです。初めて挑戦した国政選挙で、医療系候補者の中で1位という成績。驚くと同時に、この1年半、訪問先で地域の実情や課題を教えてくださった先生、地方議員の先生、何より、熱心に私の話を聞いてくださった有権者の方々の顔が、走馬灯のように私の中で駆け巡りました。私は一貫して、医療・介護・福祉の立場で町づくりをすると主張してきました。地方に行けば行くほど、地域医療提供体制の構築が必要だと感じました。そうした私の思いに〝共感〟してくださった結果なのだと胸が熱くなりました。

私は改めて、国民皆保険という制度を守り抜くという決意を新たにするとともに、我々医療従事者が思い描く理想—-患者さんの命とその先にある家族・社会を守る気持ちを貫き通そう、そのためには、自分自身が医療と医療以外を結ぶ架け橋とならなくてはならないと決心したのです。【続】

自見 はなこ

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自見英子(じみ・はなこ) 自由民主党参議院議員。1976年、長崎県生まれ。筑波大学第三学群国際関係学類卒。東海大学医学部医学科に入学。同大学附属病院等を経て...

プロフィール

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